今なお狂気
(3/07)
世界の重要な役割を果たしているアメリカが、その世界との関連を長年絶ち切り続けていることを考えると驚嘆せずにはいられない。それは、アメリカは辛うじて歴史上保持し続けてきた他国との関連さえも失ったからだ。私達は私達の野球選手権をワールドシリーズと呼び続けるが、それがいかに妙であるかにも気付かずにいるのだ。-最悪の場合、世界はそんなアメリカを、傲慢で自分勝手な国と認識してきた。そのアメリカの役割特色は、世界の至る所で与える影響力と愚かなほどの無知といった興味深い組み合わせで成り立っている。
だが、その愛らしく無邪気にはしゃぎ回るアメリカの行動に対し世界は愛想を尽かしているのだ。-あなたが選んだ私達の大統領にとって、その無邪気さは彼を追いやることのない実に操り易く都合のいいものなのだ。同時に、その国民の愚かさは新聞記事の見出しに夢中になっているアメリカ報道体制により促され、アメリカの評判を悪化させる原因にもなっている。最近の、バグダット内マンスール地区での大虐殺に関する報道記事には「惜しかった」と書かれた活字を多く目にしたが、いったい何を意味するのだろうか。集団虐殺?それとも戦争犯罪法廷のことなのか?
いや、そうではない。サダム本人が「隠れ住んでいるであろう」とし建物をねらい爆撃そして失敗した襲撃に対し、私達の解放者は獣を惜しくも逃したという記事の概要なのだ。アメリカ報道陣は我を忘れてペンタゴン宣伝にふけ、当然きずくべき赤信号にもきずかずいるのだ。(これは男たちが必死になって雄牛たちから逃げる、ビザロの牛追い祭りに似ている。)私も飽き飽きするまで見えすいた政党の決め台詞を聞かされた。「アメリカ軍、24時間以内にフセイン側近の身柄確保か・・・たぶんおそらく?・・廃位した独裁者フセイン自身の身柄も・・」
多分!おそらく!惜しかった! 史上最悪な政権が生じた異常なほどに不誠実な秩序の中で、正確にこの意味を理解するのは愚かであり実に馬鹿げている。なぜなら、私達はホース・シュー・ゲームで用いる大雑把で曖昧な得点方法さながら大量核兵器のことをを認識しているからだ。
ポールサイモンの歌詞とは別に、私はぼんやりした記憶の中から文献、オーウェル作“1984年”を思い浮かべる。その本の中の凡人、ウィンストン・スミスはビックブラザー(政府)の敵打倒方法に関する放送に耳を傾けながら、座ってチェスをしているのだ。私とウィンストンとのその身震いするほどの類似にぞっとする。私たちは真底ビックブラザーを愛する前に、いったいどんな地獄を味合わなくてはならないのか。
「彼らは私達をどこまで愚かだと考えているか」と心の中で激しく声を張り上げ問いかける。それは、私たち自ら実証済みの愚かさなのだ。オーウェルのゴールドステインは自らを、過去を支配する現在の支配ができ、将来を支配する過去の支配ができるリーダーであると自負している。勿論、1984年は少なくともフィクションであり共産主義者の想像力に富んだ作り話である。私たちは、最後までウィンストンがいかにしてビックブラザーに勝利をもたらしたかの裏話については知ることはなかったが。
現在、少なくても私たちはその裏話に関与し、そしてまた、その襲撃失敗と言う名義分上でおこした大虐殺に関する第一線報道アクセスをも有しているのだ。1人の市民が「頭部から脳がはみ出た状態で」ヤーモウク病院に運ばれた事実を、「少なくとも、市民の車が火事に巻き込まれ、車内の人達が火葬にされた。」とフィスクは誤道した。ちょっと待って、とエミリ-ラ・ティラも彼女のトレードマークの「なんでもないわ」や「全然違うわ」を連発する前このいい加減な報道に反論したに違いない。
このように、私達国民の自己妄想に陥った作り話のなかで、「罪から逃れた者」についてのほら話は真実よりもはるかに理解しやすく興味深い。医者から美味しい物が体にいいとは限らないと忠告されるなくも分るように、アメリカ人は、姿を変え甘い口調で忍び寄る悪意ある話に欺かれないために、注意深く情報を見極めなければならないのだ。
長年の間、この見せ掛けの愚かさにより、政府は殺人の罪から逃れてきたのである。それは同時に、私たちは各地域での憎しみや不信の根源にも気が付かないでいることになる。例えば、アメリカは、1953年に起きた社会主義モハメッド・モサデク首相政府のCIAによる剥奪、アメリカにより就任された残忍性シャー政権やペルシャ湾近辺至る所での鎮圧政権の支持(過去を支配するフセイン支持をも含め)に奮闘した事実を忘れているのだ。
帝国征服用語はいつも決まっている:解放、文明化、民主化・・・どれもがあの「頭部から脳がはみで出た状態で」病院に運ばれた被害者の家族にとっては無駄に自己誇張されただけのコンセプトにすぎない。突然変異が恐るべき怪物を生んだにもかかわらず、その愚行遺伝子は長年に渡り両党均等に受け継がれている。従って、国民は今、アメリカ軍のイラクからの撤退、UNへ再建引渡し、行政への爆撃修復強制等の提案をしている民主主義大統領候補者デニス・クチニチを要求しているのである。チェ-ニ-の個人財産によりその多くの負担を補われるべきである。サイモンの詞は、1955年にピート・シ-ガ-がUAC
(the Unamerican Activities Commission)で起訴されたことを悲しげなコーラスで「その花畑は何処へ」と歌った歌詞に似ている。「私たちは、いったいいつになったら自分達の愚かさに気が付くのか?」
© ダニエル パトリック ウェルチ 複製許可します。
Translated by Yukari
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ダニエル・パトリック・ウェルチ
妻ジュリア・ナンバリワ‐ルグデと、アメリカ合衆国マサチューセッツ州セーラム在住。二人で「グリーンハウス・スクール」を運営。ラジオ出演、コラムのラジオ放送等でも活動中。過去の記事はオンラインで閲覧可。一部のコラムは、スペイン語やフランス語でも入手可能。リストをご希望の方はお知らせください。ラジオトークの再放送に関心のある方も、著者にご連絡ください。また、フランス語、ドイツ語、ロシア語、スペイン語に堪能のため、これらの言語でのインタヴューや録音も可能。詳しくは、danielpwelch.com
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Daniel P. Welch
Administrative Director
The Greenhouse School
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